誰もが一年を無事に終えたことに感謝し、次の年の訪れを今かと待つ。
誰もが浮足立っているだろう、この日、小生はプロンポンはソイ33にいた。
『ファッションマッサージ茜 』。
これから語るのは、この風俗店で起こった奇跡の記録である。
マットとローション、まさに水魚の交わり
『ファッションマッサージ茜 』と言えば、知る人ぞ知る、バンコクで最もサービスというものを理解している風俗店である。
どれほど理解しているかと言えば、まず一つ目にマットプレイがあることだろう。
以前、マットプレイ専門店なるものが日本から輸入されたようだが、その店は現在において無い。
価格が高かったという事から根付かなかったのだろうが、なんとも残念である。
そして、その原因をつくったのがこの『茜』である。
なんと、マットプレイが1780バーツ。
価格破壊も甚だしいのだが、そこの初耳の諸兄。
無知蒙昧もいい加減にしたらいい。
野辺の花ほど美しい
理由その二。
『茜』には際立った美人というものが存在しない。
先程、無知蒙昧だと罵られた諸兄、今頃、憤慨している事だろう。
可愛い嬢が存在しない風俗店が、有名になるわけないだろう、と怒り心頭なのではないか。
否、だからこそサービスが成り立つのである。
接してみたらわかるだろうが、彼女たちは皆、自分自身の容姿をよしとしていない。
遠慮深げな媚びを含んだ笑顔。
熟視され、粗探しされる前に懐に飛び込む潔さ。
そして、母性を思わせる優しい手つき。
彼女達の献身性に絆されぬ男がこの世にいるだろうか、いや、いない。
男達の哀しき大音響
理由その三。
プレイに対して手を抜かぬプロとしての正しい姿勢。
色々と理由を並べ立ててきたが、やはりこれに尽きる。
小生、いまもこうして目を瞑り深呼吸したならば、あの感動が股間に蘇ってくる。
論より証拠、『茜』では、耳を澄まさずとも男たちの雄叫びがそこかしこと木霊する。
なかには、アングロサクソンである白人のものもある。
まあ、白人は元から恥も外聞もなく大きい声を出すのだが、日本人も同じぐらい声を出す。
かく言う小生も、何故だろうか、まるで童心に帰った雉ように鳴き声をあげてしまった。
そして、今泣いた烏がもう笑う
終わってみれば、「そこまでしてくれたの?」という恥ずかしさから赤面し、顔を見合わせて照れ笑い。
まるで母親にオナニーを見られたような気まずさはあるものの、それでも母は母。
軽蔑なんてその関係に生じるわけがない。
安堵とちょっとしたセンチメンタル。
これも『茜』の醍醐味なのだろう。
バンコクはその日、茜色に染まれり
店を出ると、辺りは暗くなっていた。
年明けまでもう数時間となり、書入れ時に精を出して出される人々。
これこそバンコクの年末だと思わされる。
そんな中、小生の心は茜色に暮れていた。
夕焼けの向こうには、母が作ったお雑煮にお節料理。
望郷の念に駆られながらも、異国に降り立った侍は、次の店を目指して逝くのであった。






















